小学校は勉強と人格形成を育む重要な教育機関であり、その教育は教職員らが一手に引き受けます。
小学校での授業中に災害が発生した場合、避難誘導する役割もまた教職員にあります。
大川小集団訴訟は、教職員らの避難誘導に従った結果命を落とした子供たちの遺族が引き起こした裁判です。
訴訟の経緯や判決において認定された事実について以下で説明します。。
1.大川小の集団訴訟とは
2011年3月11日の東日本大震災では地震と津波、そして原発事故という3つの大きな災害が連続で被災者を襲いました。
関連する集団訴訟は30件にも及び、その半数以上で未だ結審に至っていません。
74人の子供たちが津波に巻き込まれて亡くなった大川小の集団訴訟では、控訴審において原告側の主張が認められ、約14億円の賠償金支払いを命じる判決が下されました。
しかし被告となった石巻市と宮城県は上告をしているため,未だ判決が確定するには至っていません。
逃げ遅れた責任は何処に
東日本大震災では最大震度7の地震が観測されたことは皆さんも覚えていらっしゃると思います。
この震災の特筆すべき点は、その後発生した津波です。
大川小の児童と教職員計84名は、この津波に巻き込まれて亡くなったとされています。
津波そのものは天災ではありますが、今回の訴訟では教職員らの避難誘導が遅れ、児童らが津波到着までに避難ができなかったことの責任が問われています。
教員らは児童の避難のために一時校庭に児童を集め、そこから避難誘導をする手はずになっていました。
しかし原告である遺族側はその待機時間が45分にも及び、その結果津波から逃れることができなかったことで子供たちが死亡したのは、教員らが
安全配慮義務に違反したことによる人災であると主張しました。
そして,第一審においてはこのような遺族側の主張がが裁判所に認められたということになります。
しかし石巻市と宮城県側はこの判決を不服とし、市議会及び県議会での決定をもとに上告するに至ったのです。
2.原告の主張の内容?
亡くなった児童23人の遺族らは
国家賠償請求訴訟という形で宮城県と石巻市を訴えました。
国家賠償請求とは,国家賠償法1条に基づいて公務員の行為によって損害を受けたときに賠償を請求するものです。。
公務員の行為によって損害を受けたことが前提で、公務員の故意や過失が認定される必要があります。
遺族側が市や県を訴えるに至ったのは、以下のような観点から児童を引率していた教員らに過失があると主張するからです。
・津波警報発令が出ていた以上、津波が校庭に到着することを予測できた
・児童をすぐさま避難させず、50分近く待機させた
・避難先として向かったのは校庭から1分で到着できる裏山ではなく、裏山よりも標高が低い川の堤防だった
すぐそばに裏山という最適な避難場所があったにもかかわらず、堤防にまで移動した挙句,命を落としてしまった子供たちの無念を晴らしたいという思いのもと、遺族は市と県に訴訟を提起したのです。
市と県の不誠実な対応
遺族の説明によれば、訴訟の原因は子供たちの死亡という事実だけではなく、教職員らの不誠実な対応にもあったといいます。
裁判中に和解に応じなかったことも、不誠実な態度を続ける市や県に対して不信感があるからです。
自分たちの避難誘導は適切だったと主張を続ける市や県の態度が改めなければ、東日本大震災のような大きな災害が発生したとき、大川小の子供たちと同じ形で命を落とすこともが生まれるかもしれないという危機感が、訴訟を提起し,控訴審まで戦い抜く原動力となっていたのです。
控訴審で争われた内容
地裁では決着がつかなかった大川小集団訴訟は、第一審と控訴審で争点が大きく変わっています。
控訴審で争われたのは、大川小の災害に対する事前の取り組みです。
東日本大震災の被災地には多くの小学校がありましたが、数十人に及ぶ児童が犠牲となったのは大川小だけでした。
遺族はこの点に疑問を覚え、災害発生時に対する備えが足りないのではないかという疑問のもと、控訴審を戦い抜いたのです。
3. 誰が集団訴訟の被告となったのか
今回の訴訟は国家賠償請求訴訟であり、教職員という公務員の行為に対する責任について追及する裁判となっています。
しかし実際は教職員個人ではなく、市や県といった教職員らを管轄する地方公共団体が被告となるのです。
第一審では教職員個人の責任が、控訴審では市や県の避難対策が万全であったかが争われました。
津波の予見可能性
被告として訴訟を提起された石巻市や宮城県は、裏山ではなく堤防に避難誘導した教職員らの行為が適切であったと主張しています。
・大川小学校は海岸から4キロの距離があり、津波が到達するエリアとして想定されていなかったこと
・遺族らが主張する裏山は地盤が緩み、倒木をはじめとした危険が予測されたことから、津波の避難に堤防を選ぶことに不合理な点はない
未曽有の大災害であったことや、教職員らに津波の発生が必ずしも予見できたとはいえず、避難誘導に伴う責任があまりにも重すぎるとして、市や県は第一審において賠償命令が下された後、控訴に踏み切ったのです。
4.大川小集団訴訟の判決
仙台高裁は控訴審において遺族の主張を認め、原審から微増した14億円以上の賠償金の支払い命令を市と県に対して下しています。
判決内容の中で注目すべき点は、市や県がハザードマップにおいて避難場所に関する細かな規定を定める義務があったことを認定した点です。
災害避難に対してより高度な責任を認定
原審で認定されたのは、津波発生時に津波に巻き込まれてしまう場所に誘導したという行為に関する責任だけでした。
高裁ではそれに加えて、事前に避難場所について精査し、津波の発生を予期した際にはどこに避難すべきかといった内容を盛り込んだ危機管理マニュアルを作成していれば、子供たちが津波に巻き込まれる事態は回避可能だったと示しています。
大川小集団訴訟は市と県が上告したため、判決の確定は最高裁で争われることになります。
もし仙台高裁の判決内容を最高裁が追従することになれば、教育現場における災害避難のあり方が大きく変わる集団訴訟として、後世に名を残す判例になるでしょう。
5.大川小集団訴訟まとめ
大規模な災害が発生すると、それに付随して様々な悲劇が発生します。
大川小集団訴訟は、こうした悲劇を防ぐ手立てがあったのではないかという思いのもと、市や県を相手取って提起された訴訟です。
教職員らの避難誘導における責任や、学校に求められる避難誘導のあり方など、災害時における多くの課題を気づかせてくれた大川小集団訴訟は未だ続いています。